エッセイ|見られるという感覚、久しぶりでした。

料理やライフスタイルをいちど映像にしてみたくて、自分の家で撮影をしてみました。

 

最近は、普段も家のなかを片付けるようにしていたので、そのまま撮影すればいいだろうと思っていましたが、いざ撮影をはじめると色々なところが気になり始めてしまいますね。

 

キッチンのスポンジの具合、ふきんの色、調味料の配置などなど。

 

きっと撮影をしなければ気づかなかったであろう細々としたことばかりなんですが、気になってしまい、無印良品で思わず散財してしまいました。

 

新しいもの、清潔なものにとりかえると、やはり気持ちが良いですよね。ちょっとしたことしかやっていないのに、見違えるようになりました。

 

しかし、感覚の慣れって怖いですね。日々の生活の繰り返しのなかで「白」じゃないものを「白」と感じるようになっていたんでしょうね。

 

新型コロナ以前は、たまに友人を家に呼んだりして、リセットするタイミングがあったのですが、最近は、そんなこともなかなかできないので、つい忘れがちになるんですよね。

 

他人の目で自分を見る。おそらく家の掃除だけではなく、仕事であったり人間関係であったりあらゆることに通ずる話だと思います。

 

自分の主観と客観が大きくずれていないか。このことが重要なことぐらいは私も頭ではわかっているつもりなのですが、他人の目が「自分の目」になっていることに気づかない気づかない・・・感覚のリセットが必要なことに気づかない。

 

みなさんは、どのようにして感覚のリセットをされていますか?

 

エッセイというかただの日記になってしまいました。撮影した映像、これから編集せねば!